遠見山番所跡

重要な役割♪

遠見山2

近世の瀬戸内海航路が、「地乗り」から「沖乗り」に変わっていくと、
鹿老渡沖は周防上関から御手洗に至る航路の中間地として、
四国・九州の大名や商船の往来が頻繁になった。
広島藩は、宝永6年(1709年)から安永6年(1777年)まで鹿老渡の遠見山に
番所を設け、番人を派遣した。番人は海越に居宅を構え、交代で番所に勤めた。

~宝島くらはしまちづくり協議会より~